8時過ぎ、ホテル出発。この日の運転手はキャメル(らくだ?=そういったように聞こえたが)。外見から、私より年上と見たが、後でモリさんと同い年と分かったから、私よりもおそらく年下か。分からないねー、よその国の人の年齢は。

まず「沈黙の塔」。ゾロアスター教(世界史で学びましたねえ)では、火や土は神聖なものとされているので火葬・土葬が忌み嫌われ、遺体が鳥葬に付されていた場所。なんとなくもの悲しげで、不気味な雰囲気がする。2つあるうちの向かって右側の塔に登ってみた。鳥葬の場所を詳しく見るためには、より高い左側の方を上ったほうがいいとガイドブックには書いてあったが、後の祭り。モリさんの言うとおり、上ってみたとて、特に変哲があるわけでもなかった。そのあとは<ふもと>の集落跡へ。モリさんによると、ここで映画のロケとかがよく行われているそうで、昨夜のように映画関係者に出会うという幸運にも恵まれるようだ。

キャメルさんの家に寄って、ドライブ途中にふるまってくれる紅茶を積んで再び出発。ゾロアスター寺院へ。1500年以上も燃え続けているといわれる聖火を拝見する。写真を撮る場合は、火の守をしているおじいさんが電灯を消してくれる。入場料は要らないが60000イラン・リアルの絵はがきを買うか、5000イラン・リアルのチップを渡すかしなければならないそうだ。

次はアミール・チャグマークのタキイエ。15世紀に建てられた寺院・バザールの複合施設だそうだ。2本のメナーレ(尖塔)がそびえる。次はマスジェデ・ジャーメ。イランで最も高い36メートルのメナーレがイスラム屈指の名建築だそうだ。航空会社に寄って、私の帰りの航空券をリコンファームすると言う。関空で確かめたところでは、リコンファームは必要ないとのことなのだが、そう言ってもモリさんがするというのでほうっておいた。「(エミレーツ航空の券なので)UAEまで電話代がたくさんかかった。あとで払ってください」といっていたが、そちらが勝手にやったこと、知るもんか。

このあとはシラーズまで走る。420キロ。キャメルさんの運転は、昨日のムハンマドさんよりはだいぶ落ち着いている。途中、<ライオン岩>で休憩。キャメルさんの紅茶をいただく。結構おいしい。キャメルさんはボックスからカップやらレモンなどのくだものやらを取り出しては丁寧にしまい、結構几帳面な性格のようだ。

車は雪をいただいた山すそを走る。雪はあるが、天気はよく、暑いぐらいだ。2時間ほど走って峠を越え、さらにイスファハン方面とシラーズ方面の道の分岐点近くにあるレストランで食事。肉はもういいので、豆とかを煮込んだ料理にしてもらった。ここでシラーズの手前にパッサルガードなど3つの遺跡があることを知り、モリさんに行ってもらえるか打診。「会社が決めたコースではないのに……」と露骨に面倒くさそうな顔をされるが、10ドル余分に払うことで納得してもらう。パッサルガードは、アケメネス朝ペルシア黄金期の基礎を築いたキュロス2世の墓や宮殿跡が広範囲に広がっている。行ってみるとどうってことなく、大王の墓も修復中で足場の組み材に覆われていただけだったが、それでももう2度と来られるかどうか分からないので訪ねておきたかった。ナグシェ・ロスタムなど2か所の遺跡はペルセポリスに近いため、また明日ということになった。

17時過ぎ、シラーズ着。街に入る前に幹線道路でナイロン製品だったか、たくさんの荷物を積んだトレーラーが横転、派手な事故を起こしていた。このほかにも旅行中、いくつかの事故を見たから、車の運転の荒さに加え、やはり事故は多いほうなのかも知れない。それより何より、道でははねられた犬の死骸をよく見かけた。イスラムでは犬は不浄のものとされているから、はねたとしてもぜんぜん顧みられないのであろうか。

話はそれたが、バザールが18時には閉まるがどうするかというので、旅程の予定はなるべく早く済ませて、あすは少しでもペルセポリスなどの遺跡めぐりに時間を使いたいと思って、ヤズドまで帰るキャメルさんには悪いがバザールに行くことにする。この街での必要最小限のみやげを買って、もうほとんどほかに買う気もなかったのだが、ある店で鉄皿を勧められた。定価は60ドル。買う気がないから「3分の1の20ドルならいいかな」と言えば、店主もなかなかあきらめず25ドルに下げてきた。「だから20ドルじゃないと買わないよ」といってもなかなか引き下がらない。結局根負けして、22ドルでまあいいかと買うことにした。22ドルを財布から出すと、ところが、店主は怪訝そうな表情を浮かべ、横で見ていたモリ(ここからは呼び捨てだ)も「22000トマン(220000イラン・リアル=30ドルちょっと)かと思ったよ。22ドルじゃあ、店の人カワイソウ」などと言い出した。なぜか店側の味方だ。交渉のいきさつからいって22ドルであることは紛れもないのに……。「じゃあ、鉄皿は要らない」と言って私はいったん渡したドル札を取り戻して店を出ようとしたのだが、店主は腕を高く差し上げて金を返そうとしない。背は私の方が高いのだが、店主はカウンター越しにいるから、手が届かないのだ。交渉が再び始まったが、私にとってはもう面倒くさいことでしかない。荷物になるから余分なみやげは要らないし、だいたい鉄皿なんてさらさら買いたいわけではないのだ(しゃれじゃないよ)。結局、モリの「店に紅茶をご馳走になったし、それに2000トマン(それでさえ法外な値段だ)払うことにしてさあ」とかという言葉に丸め込まれてしまった。続けてモリが言った「さっき返してもらった22ドルをお店の人に渡してあげてください」という言葉に従って22ドルを払う。もうこんな強欲なイスラムのやつら相手に買い物するなんてこりごりだ…………と思いながら車まで戻ってふと気がついた。最初に出した22ドル、返してもらってないんじゃあないか……。しまった、やられた。くそう、交渉のドサクサ紛れにあの22ドルを手品みたいにどこかに隠したのだ。だいたい2度目に払ったとき、ドル札はしわも寄っていなかった。いったん返してもらった札ならば、店主と私がもみ合ったときに握ったしわとかがついているはずだ。しかし、今から店に戻って抗議しても、あの狸おやじの店主は「なにかの勘違いでは」とすっとぼけるに違いないのだ。それに第一、私がなにか言っても、それを伝えるモリがあのような店側に立った態度だったということは、狸おやじとグルだったということではないか。確たる証拠がない限り、うかつなことはいえないが、あのふたりはこちらが気がつかないうちに、目配せでもしていたか。くそうっ、腹が立つ。イランの旅がたった22ドルのことで台無しだ。こちらが油断していたことに間違いはないのだが、わざわざこの時期イランに来ようかという<奇特>な旅人をだますかねえ。目先の浮利を得ても、そんなことしていたらイランの印象が悪くなる一方だぞ。

夕食はホテル近くのスパゲティー屋。味をモリは推奨していたが、どうも……大学祭の模擬店レベルだった(というか、この旅で痛感したのだが、イランと私とでは味覚に関しては埋めがたい溝がある)。先ほどの不快なやり取りがあったから、ほとんど話をしようという気になれないし、不幸なことに、こいつ、だんだん夕食も手を抜き始めているのではないかという疑いが頭をもたげてくる。ホテルで部屋に引き揚げる時、モリに先ほどのみやげ物店の名前を確かめ、「納得いかないことがあるので、いきさつを日本の代理店に報告しておく」と告げる。本当にどうこうしようという気はないが、明日からちょっとでも変な行動をしやがったら、今度は許さないぞという警告だ。

ホテルは、古い。