機内の疲れから、よく眠れた方か。6時にベッドを出る。モリさんから7時、そして7時半ごろ連絡があって、ホテルに来るにはちょっと遅れるようだ。7時半すぎ朝食バイキング、8時からロビーで待つがモリさんはなかなか現れない。昨夜あれだけ8時には出発できるようにと、自分が念を押していたのになあ。運転手のホセイニさんのほうが先にやって2人して待つ。モリさんが来たのは結局20分すぎただろうか。「土曜で人出が多く、車が込んでいた」といっていた。

ケルマンへ移動するため空港へ出発。遅れはしたが、それでも余裕十分だった。ホセイニさんとはここでお別れ。国内線ロビーは人でいっぱいだった。10時20分ごろ、やや遅れて離陸。窓側に座ったが、万年雪(?)をいただいた峰々が日に輝く。そして大地の<しわ>のないところは、まったく<のっぺらぼう>の砂漠。本当にここが高原の国であることを実感させる。ほぼ定刻の11時25分ごろ、ケルマン到着。ここからの運転手はムハンマドさん(こんな名前ばっかりや)。20代半ばの若いにいちゃんだ。

市内を少し走り、アルグ広場(おそらく)で下ろしてもらう。ここからバザール探訪。モリさんから「品質や値段からいって、土産を買うのはシラーズやイスファハンに行ってから。ケルマンでは見るだけがいい」といわれていたし、早くから荷物を増やしてもしようがないので、もちろん買う気はない。道のy両側に立ち並んだ店を見て楽しむ。途中チャイハーネ(喫茶店)に。モリさんによると、ここはもともと公共浴場で、新聞などがなかったころの市民の情報交換の場だったとか。で、今も大きな湯船の名残の<プール>が残っている。私たちは紅茶をいただいたが、そのへんの客はみな水パイプを吸っている。女性の2人連れも2組いたが、女性が水パイプを吸うことは社会的に認められているのか、モリさんに聞いてみると、あまり感心したことではないといっていた。家族やカップル、仲間たちで来てその中の女性が水パイプを吸うことはあるが、女性だけできている場合は、周りの雰囲気としては抵抗があるようだ。ここにきていた女性の1組は、モリさんが聞いたところでは、ケルマン大学の学生だそうで、2人とも本当にきれいな女性だった。だめもとかも知れないが、どうせなら写真を撮らせてもらえるよう、頼んでみればよかったかな。

バザールを歩き終えて、マスジェデ・ジャーメ見学。そのあとまた車で、2時ごろ市街のレストランで昼食。ここはお座敷ふうで、料理は鳥のカバブ、スープ。モリさんはナスの煮込んだものを食べていた。鳥は何とか平らげ、おなかいっぱい。この日はこのあとバムへ移動するだけなので、このお座敷で休むという。貧乏症の私としては、だらだらするくらいなら身銭を切ってでもほかのモスクなどに行きたいものが、これがまあ、お仕着せ旅行のつらいところ。

4時過ぎ出発。道は砂漠の中なのか、荒れ地の中の一本道。これならば170キロの道のりを2時間半で行くというのもうなずける。途中、ちょっと道をそれてマーハーンへ。ここには放浪の詩人シャー・ヌーロッディーン・ネエマトッラーの廟がある(といっても知らないので、行ってもらうよう頼んだわけではない)。モリさんは「あなたへのサービスで、マーハーンを回った」とうるさい。そのくせ「廟の中に入るほどのことはない。5ドル要る。外からの写真で十分だ」といっていた。

やがて日は暮れ、車は闇の中を走る。車は決して少なくはないのだが、道路に明かりはなく、ところどころ遠くに民家(?)の灯がぽつんと見えるだけ。途中、軍隊の検問があったが、ケルマンからバムに向かう側は止められることはない。検問は、総じて所得が低く治安が比較的よくない南部のバム方面から麻薬や武器が流れ込むのを防ぐためだそうだ。

6時ごろホテル到着。7時半から食事に出る。ホテルは町外れにあるので、市街地までは車で10分ほど。またシシカバブだ。モリさんに「飽きないか」と聞くと、高価な料理だから食べられるのがうれしいとの返事だった。失礼しました。ここではヨーグルトもすべていただいた。しかしなあ、ご飯食べながらの炭酸オレンジジュースはいかんよなあ。ホテルに帰ったら、右太ももの内側に発疹が出てきた。日ごろほかの人ほどは肉は食べないと思うので、正直なところ、肉肉肉の攻勢にちょっと参ってきている。もちろん発疹との因果関係は明らかではないが。

バムは観光地としては比較的<後発>なので、ホテルはまだ新しくてとてもきれい。ただ、カギが簡単で、なんとなく頼りない。発疹が治まるためには安静が一番。あすはバム遺跡探訪で、体力を蓄えておくためも早めに休む。